菅野秀浩のちょっといい話

第2話 おもいやりⅡ

おもいやりⅡ 挿絵

 かたわらの小さな漢字辞典を取って、何げなく「おもう」という言葉を引いてみた。
あるある「思・念・惟・想・意・憶・懐・情」これみんな「おもう」という事で、大きな辞書を開けばもっとあるに違いない。

 これには少なからず驚かされ、うっかり使ってきた言葉の大事さを、しみじみと感じた。

「思」は「思案・思考・思想・思慮」― 心におもんばかるの義、
「念」は「念願・念書・念慮」で― 常に思い、心にかける―こと、
「惟」は「惟々・惟思」― ひろくおもうこと、
「想」は「想思・想起・想憶」― こいねがうおもい、
「意」は― こころばせ、考え、おもむき―で「意気・意見・意思」、
「憶」はきおくするの義「憶念・記憶・追憶」、
「懐」は― なつかしむ、心にいだく・しのぶ・いたむ「懐古・懐中・懐慕」のこと。そういえば「情人(おもいびと)」なんて言葉もある。

 外国語には一つの単語で、さまざまな心の動きの微妙さと、その意味の違いを表現することはできないと思うが、日本語の「おもい」にはその一言に、とても複雑で、奥深く、気配りや、いたわり、通いあう心、加えて情愛と値千金の価値がある。

 現代は自分が「おもわない」から、「おもわれていない」と信じている事がおおい。

苦しさ、つらさ、悲しみ、泣きたい時。

楽しさ、うれしさ、喜び、微笑みの時。

いつも傍らに「おもい合う」方が居てくれたら、なんて幸せだろう。

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