菅野秀浩のちょっといい話

第5話 こころの洗濯

こころの洗濯 挿絵

 お寺や神社で賽銭箱に向かって、コインを投げ入れ、思いつくだけの願い事をしている人がいる。あれは本当に効き目があって、願い事も叶うのだろうか?

 チャリンと一個投げ入れて、すぐに願いが叶うとしたら、本当の所安すぎるし、本尊様も真剣に聴きゃしまい。

 じゃァ、なぜ仏様を拝むのだろうか。

 私達は格別に汚れていなくとも、毎朝きまって昨日の汚れ物を洗濯機に入れ、部屋に掃除機をかけ、庭の落ち葉を箒で掃く。
同じように心も、一日の汚れをきれいに洗い落とす必要があるのではないだろうか。

 「こころ」の汚れはどうしたら、きれいに落とすことができるのか。

 人間には三毒「貪・瞋・痴」はあるという。自分のことばっかり考えたり、ささいな事に腹を立てたり、つまらないことにくよくよしたりする事をいう。

 この三毒は、一度犯せば、ずっと澱のように心の底に汚れとして溜まる。溜まった汚れは、どこかで浄化し清めなければならない。
その浄化作用が、寺参りやお仏壇で、仏様に掌を合わせて拝む事なのです。

 昨日、吝薔(ケチったり)、怒ったり、愚かさで心を汚した者は、朝仏様を拝みなさい。

仏様に掌を合わせて拝めば、たちどころに浄化され、清々しい気持ちになる。

「こころ」が洗われるんです。

「仏壇(賽銭箱)は、心を洗うランドリ」なんです。

前の法話
菅野秀浩のちょっといい話 法話一覧に戻る
法話図書館トップに戻る