菅野秀浩のちょっといい話

第8話 おかげさまⅢ

おかげさまⅢ 挿絵

 世界の宗教は数に限りは無いが、身近な宗教で対照的に言われるのは、やはり「仏教」と「キリスト教」であろう。
どちらも会派はこれまた限りが無いくらいだが、二教の、その根本的教義によって立つべきことと、めざす心構えを、一言で述べろと言われれば、「慈悲」と「愛」になる。

 このことは、先刻誰も承知の事だが、甚だ雑なお方は、簡単に「慈悲も愛」も同じ、表裏一体のようなものだ、
なんてことを言うことがあるが、絶対にそうではない。

 二つの宗教のスタンスが同じなら、同じ宗教になってしまうし、「慈悲」と「愛」が違うからこそ、教義が成り立つのである。

 これだけの字数で二教をいい表すことは不可能にちかいが、キリスト教における神は絶対神であって、原罪を負う人間は、神には成り得ないし、究極おそばに召されるのである。だから、「愛」の善行を為して、懺悔し、少しでも罪を軽く、お許し戴くのであろう。

 仏教における「慈悲」は、悟りをえるための、手立てであり、菩薩へむかう発心の表れである。即ち仏教は悟れば、成仏し、仏様に誰でも成れるのである。

 だから与えるだけの「愛」と、仏を目指す「慈悲」は根本的に異なり、他に向かう姿勢も、難儀な方に奉仕を「してやる」と、その方のお陰で「させていただく」の違いになる。

 「おかげさま」は慈悲の実践であり、この精神こそ、二十一世紀への提言である。

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