菅野秀浩のちょっといい話

第11話 知識と智恵[慧] Ⅲ

知識と智恵[慧] Ⅲ 挿絵

 「毒箭(どくせん)を抜かずして空(むな)しく来処を問わざれ」この言葉は、弘法大師が比叡山の最澄上人(伝教大師)から『理趣釈経』という密教経典の借用を書面で依頼されたのに対し、断りの返書をしたためた中で述べられたものである。

 もともと中阿含経にあるお釈迦さまのお逸話で、
「毒矢が体に突き刺さったならば、先ず矢を抜くことが肝心で、この矢はだれが射て、どんな弓か、何処から飛んで来たかを解明することではない」
密教の受法もおなじで、書物を借りて読んで理屈によって会得できるものではない。ひたすら心を虚しくして、他心なく法を受ける事が肝心なのである。

 即ち、文字では法は悟れない。身を捨てて体験する中で、真の生きざまの中に、本当の生きがいが生まれてくるのだ。

 このことは、マニュアル文化と言われる昨今の事情と似ている。子育てや老人の介護がそうである。

 今、書店の棚には四畳半が埋まるほど、関係書物が書かれ、販売されている。全てを読破して、子育てや介護ができるだろうか。
又、そうして欲しいと望むだろうか。

 それより、おんぶに抱っこの温もりの抱擁と、慈しみの思いやりが大事なのだ。

 勿論、知識は大事で、背中のカバンにたくさん詰まっている人程、人生は豊かである。

 しかし実生活では、先人や先輩の智恵を借りて、真似(学)ていく、これが理想だ。

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