菅野秀浩のちょっといい話

第12話 相互互助

相互互助 挿絵

 仏教の教義が普遍し、実生活の中に生かされ、日本人の生き方の実践的知慧として、日常で定着したものに「互助」がある。

 これは共生する者が考えた、合理的な精神に支えられた、頼りがいのある知慧である。しかし近ごろの社会生活において、「互助」が姿を消しつつあるから心配である。

 かって、祝祭や仏事は相互の「互助」に支えられて、成り立った。即ち、隣人に祝い事や難儀が生じた場合、いつかは必ず自分自身にもそれがもたらされる事をきちんと受け止めて、他への祝いや苦しみに駆けつけて、互いに助け合って、共に喜び或いは悲しみを乗り越えたのである。

 殊に「生老病死」の四苦は、どんなものにも平等に忍び寄る苦しみであり、この苦を乗り切るために、人間は一人ではどうにもならないことに気づき、自然に「互助」という助け合いの精神が生まれた。

 だが、最近はお葬式などもホールで執行したり、介護なども近所の親しい手を借りることもなくなった。たまたま、自宅葬や家庭介護を余儀なくされると、狭い、汚い、駐車場もない、人の出入りが煩わしいなどと、隣から非難をあびる始末であるという。

 人生至上の時、やり切れない失意の刻、傍らに共に喜び、悲しむ方がいてくれたら、悦びは倍増し、悲嘆はきっと半減するだろう。

 あぁ日本人はいつから互助精神を忘失し、尊大になり、利己主義になったのだろうか。

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