菅野秀浩のちょっといい話

第15話 互助Ⅳ 布施 イ

互助Ⅳ 布施 イ 挿絵

 最近の社会問題の一つに、仏教界の戒名問題があり、全日本仏教会は「戒名(法名)料という表現・呼称は用いない」と、発表した。
このことは、真面目に寺院運営をなさっている住職にとっては、当然の事で、いまさらと言う感じだが、私見を述べたい。

 もともと「戒名料」も「お経料」もない。寺への御礼は、その基本は奉納であり、布施(ふせ)といわれ、原語は「ダーナ」、本義は「ほどこし」で喜捨(きしゃ)といい、貧しい方や仏教修行者に、見返りを考えない奉仕を財で与える事をいいます。

 ダーナは、「檀那」と音写され、「檀」は仏教にとって極めて重要な、菩薩への六つの基本的な実践行の一つとされています。

 実は「檀那様」は、奥様のものではなく、お寺のものなのです。

 寺の運営は、もともと営利を目的としたものではありませんから、利益の追求もしません。だから寺の経営は、すべてこの見返りを考えない「布施」によって賄われます。

 仮に百軒の檀家(寺へ施しをする家)を持つ寺が、百万円を必要とするとする。民主的に考えれば一軒当たり一万円の負担になるが、十万円を用立てる家が三軒、五万円の家が四軒あれば、残り五十万円は九十三軒で用立て、一軒の負担は五千余円と軽くなる。

 護寺をして戴くのは、民主的な計算では平等では無く、檀家さんが共に補い合って寺を守る。布施が互助という証しです。

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