菅野秀浩のちょっといい話

第18話 「空(からっぽ)」という事

「空(からっぽ)」という事 挿絵

 インドで開かれ北伝した大乗仏教は、シルクロードを経て中国へ、更に朝鮮半島を進んで日本に根付くが、その教えをたった一言で説明すると「空」ということになる。

 私たちが、常々存在していると思っているものは、勝手に自分で思っているだけで、本当は何もなくて、からっぽなんだといこと、それを「空」という言葉で表現する。

 だから何も無いことに、何時迄もこだわらずに、心をからっぽにして拘りを捨てれば、悟りの境地に達することができる。

 「般若心経」というお経は、わずか二百六十二字で「空」の教義を簡潔に説いた、極めて稀な重要経典である。

 多いと少ない、きれいと汚いは、どこまでが多くて、どこまでが少ないか、きれいと汚いはどこで区別をつけるのか、色だって本当の赤や緑は誰も解らない。
ただ見たり聞いたり感じたまま、自分で思い込み、その思い込みに拘って、汚いとかきれいと思い、多いとか少ないとかで一喜一憂する。

 人間同士もそうで、ちょっとのお付き合いで、一生の友と断じて裏切られて恨んだり、ほんの少しの欠点をあげつらって、その方の全ての人格を評価したりは日常茶飯事である。

 人間って、けちだったり、大酒飲みだったり、ギャンブルが大好きでも、好人物はいる。

真面目人間でも悪人はいるものです。

 一面のみに拘らず、心を空っぽに、大らかに構えると、大事が見えるものなんです。

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