菅野秀浩のちょっといい話

第21話 映像の嘘Ⅰ

映像の嘘Ⅰ 挿絵

 終戦間際の誕生の私(と言うことは、映画産業の一番華やかな昭和三十年代を、青春時代と共に送った)にとって、映画程心ときめかせたものはないし、文化もファッションも憧れも、情報全ての収集源であったから、月平均10本の割りで、劇場へ出かけて見ていた程の熱狂的な「映画おたく」であった。

 時代劇は勿論、現代劇や空想の科学物など、殊に洋画はまだ見ぬ世界の国々の街角や、その織り成す情景にしびれ、粋なギャングの仕草にも胸をときめかせ、文化を盗んでは、早熟な青春を謳歌し、映像と共に駆け抜けた。

 しかし、この時代に映画に魅せられたことは、映画の本質をきちんと認識した点で、極めて有意義なことであったと、見続ける現在においても感じている。それは、映画はあくまでも虚構だと言うことである。

 脚本も俳優も演技も背景も全てが虚構で、アングルやカット、照明、トリミングで編集し創り仕上げた、実在しない世界なのだ。 

 しかし、1969年のアポロ11号月面着陸成功とコンピュータ・グラフィックの科学の進歩と普及は、映画の虚構性を根本的に変え、技術的に稚拙にしか表現できなかった虚構では満足できず、本物以上に本物だという虚構を、提供せざるを得ない現実となった。

 嘘だと認識して見る映画と、現実を越えた嘘を、映像で体感して、知らずに虚構を現実として肯定して、本当と信じてしまう。 

今、映像は重大な現代問題を誘発している。

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