菅野秀浩のちょっといい話

第29話 新幹線症候群Ⅱ

新幹線症候群Ⅱ 挿絵

 吉田先生から「新幹線症候群」の話を聴いたのは、10年以上も前の気がする。

 真言宗の教理を説くために新幹線の話をなされ、乗ったら降りる式の結果だけを重視して、悟りのみを求めるのではなく、一つずつ積み上げる修行の果てに悟りに達するように、その修行の過程が大事だと力説された。

 今、教育もスポーツも、日頃の多忙を癒す旅行さえも、その過程は誰もあまり大事にせず、結果オーライ主義が蔓延している。

 教育は試験地獄が示す通り、幼児教育においてさえ、いい小学校、より親の見栄を満足させる中学校へ入学するための幼稚園であり、子供の資質や能力、やがての将来を考えて、いかに学園生活を過ごし、よい友人に恵まれるかは、選択肢には無い。

 スポーツも結果ばかりで、オリンピックも金・金・金でうんざりするし、サッカーもイチローも結果ばかり、だからtotoなんて馬鹿な賭けに夢中になるし、連続安打中断に真顔で嘆く。スポーツは汗を流し、その技や気力、競い合い、そこに白熱する瞬時と友情とスポーツマンシップに酔いしれるのだ。

 海外旅行だって、着いたら又その先へ飛び回り、土地々々の機微に触れる余裕も無い。

 人生さえも、やれ「散骨」だ「死後の決定」だと、「新幹線症候群」に冒され始めた。

 余生は鈍行に乗って、駅弁をひろげ、回りの景色を楽しみ、ゆっくり行けば良い。

 終着駅を考えたら、おしまいでしょう。

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