菅野秀浩のちょっといい話

第31話 新幹線症候群Ⅳ

新幹線症候群Ⅳ 挿絵

 「十四無記(じゅうしむき)」という釈尊の教えがある。仏教語大辞典によれば、「無答記ともいう。他の諸宗教諸学派から向けられた十四の形而上学的質問に対して、釈尊が黙して答えを与えなかったこと(『倶舎論』)」とされ、釈尊が異教徒から「世界は常であるか、無常であるか。有辺か無辺か。如来は死後存するか、存しないか。」等の十四の問題に全く答えなかった事を言うとある。

 「無記」の教えは、解らない事を、ことさら問題にしても意義もないことで、「善でも悪でもない。果報をもたらさないこと」は、「記録」にも値しない「訳のない」ことで、全く答える必要すらないという事であろう。

 今、現代社会はこの「記録」にも値しない「訳のない」ことに、何と無駄な時間と労力を注いでいるか、実感としてある。

 科学の進歩が、多大なる社会の文明化と恩恵をもたらしたことには、感謝と賞賛は惜しまないが、反面すべてをあからさまにしなければ、文化では無いような風潮がはびこり始めて来ている事には、不審を抱く。

 死後や死に対する命の問題もまさしくこれで、釈尊さえ黙して答えなかった事を、大問題のごとく口角泡を飛ばして論じる者の、口車に乗らないことが賢明である。

 クォリティー・オブ・ライフ。これさえもメディアの誘いには乗らず、自分を如実に知り、自身の価値ある生活を工夫し、今の刻を無駄なく生き抜くことであろう。

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