菅野秀浩のちょっといい話

第40話 今を生きるⅢ

今を生きるⅢ 挿絵

 高校生達が良く使う「シカト」という言葉は、無視するという事だが、もとは賭博用語で、花札の十月札が紅葉に鹿の絵柄で、鹿がそっぽを向いて紅葉を見ないことから、知ってて知らぬ振りをすることを、「しかとお(鹿と十月札)」と言った事が語源らしい。

 若者にとって、ともかく「シカト」は極めて重大な行為で、相手にしない、相手にされないの軽いものではなく、仲間外れを宣告されたのと同じで、悪質で陰湿ないじめの手口の始まりの宣言なのである。

 「シカト」は、無視だけではない。その子の個性さえ抹殺する。即ち、劣っていたり、優れていたり、良家、貧しい、容姿、強い弱いに拘わらず、平均的(皆と一緒でない)でないもの全てに及ぶ。自分だけ違う事は、拙いことなのである。

 別に仲間にされなくても支障はないように感じるが、前話で記述のように、独りっきりで育つ環境は、勿論独りが大好きなのだが、大衆の中にほうり出されると、為す術を失い、うろたえて、身の置き所さえ解らず、途方にくれてしまうのである。

 だから親から登校を強制されて、独り苛めに耐えていたり、登校拒否で抵抗する、現代の教育問題を喚起しているのだ。

 皆一緒のルーズソックスには、青少年の言えぬ苦しみが隠れているように思える。

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