菅野秀浩のちょっといい話

第42話 環境保全

環境保全 挿絵

 我が街F市は、東京駅へ快速で25分、通勤には至便な近郊都市であるために、早くからベッドタウン化し、公団や住宅が林や畑を整地して建設され、都市計画も杜撰だったのか、駅ビルの屋上から眺望すると、中心部の駅周辺の繁雑化はもとより、調整地区の区域を除いては、緑は全く望めない。

 辛うじて乱立し始めたビルの間からこんもり見える緑は、神社と当寺の有る杜である。

 自坊は狭いながら、境内には数十種の樹木が生い茂り、手入れも間々ならぬが、中でもふた抱え以上は優にある楠の大木が二本、庭中を覆いつくし、自然のありがたさと煩わしさを感じながら共生している。

 楠樹は、春若葉をを萌やすと、一斉に昨年の旧葉が落ち始める。掃いても掃いても執拗と言う程に、屋根に溜まり樋を詰まらせ、何処彼処に散りつづける。伐採したらどんなに楽だろう。毎年思うことは同じである。

 しかし、春が過ぎて、暑い夏がくると、楠の大木は嘘のように苦労を忘れさせる。

 庭を覆いつくす濃い緑は、葉末から涼風を運び、木陰は訪れる参詣者の憩いの場となるし、本堂も大寄せの時以外は空調も点けない。

 お墓も落ち葉がいっぱい。蚊は湧くし蛇や鳥もいる。自然との共生には、非文明的生活も強いられる。しかし苦情は多い。

 環境保全には、自然の豊かさの陰に、文化拒否の我慢と不自由を満喫するという、価値観の違う摂理も認識して欲しいものだ。

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