菅野秀浩のちょっといい話

第54話 真言宗Ⅰ

真言宗Ⅰ 挿絵

 殆どの方が「真言宗」は、弘法大師空海が開かれたと理解されているならば喜ばしい事だが、義務教育では宗教教育を避けてとおる為か、その教えも徹底はなく、「空海も最澄も知らない」という嘆かわしい結果で、お坊さんになるために、仏教大学で学んで初めて空海を識るという、現実もある。

 この「ちょっといい話」も50回も越えたので、そろそろ本来の真言坊主にかえって、時折「真言宗」や「密教」の話も伝えたい。

 ただ「ちょっといい(?)」だけだから、随筆風に漫然と書きたい所だが、真言宗や密教の奥義を易しく語るとなると、きわめて困難で、始めにお断りすれば、密教辞典を始め諸先生のご研究やご高説を拝借すること頗る多しで、一々参照の資料として挙げないが、諸先生にはお許し願いたい。

 「真言」とは、究極の境地や絶対の淵に立たされた時、言葉にならない真の叫びがあるように、胸中というか、全人格の心根から発する「真実語」を言うとされる。

 この語が、インドにおいてバラモン教の「神に対する祈り」として唱えられ、「帰依や祈願や鑚仰における聖句」として成りたち、人々の願いと救いの祈りとなった。

 時を経て、「陀羅尼」や「明呪」が完成し、大日如来の声による「森羅万象の絶対者の能力」の言説として、「一字一句に無量の教法の義理がある」と教理が熟成し、呪法や教義も整理され、真言宗が成立する。

前の法話
菅野秀浩のちょっといい話 法話一覧に戻る
法話図書館トップに戻る