菅野秀浩のちょっといい話

第56話 密教

密教 挿絵

 真言宗は密教であることは承知しているが、なぜ密教か、密教とは何かと問われると、にわかに説明できる者は極めて少ない。

 教学的で申し訳ないが、仏教はこの世に実在されたシッダルダ(釈迦)がお悟りを開いて覚者となり釈尊と崇められ、ついには仏身として礼拝され、そのお説きになられた不滅の法も法身(ほっしん)として教主に成り、仏陀観として完成し、諸宗派の基本的仏身観として定着する。

 しかし密教では、極めて宇宙的スケールで大日如来が存在し、自らが教主となって説法する。すなわち法身大日如来がさまざまな姿に身を変じ、ある時は本来のお姿で、又ある時は菩薩に変化して説法し、時には凡夫や教化するものと同等の姿に自在に変化して、一切のものすべてに説法し救済する。

 説明の為に、「鶴の恩返し」の話をする。

 雪の夜傷ついた鶴が男に助けられ、その受けた心情に絆され、妻(お通)となって夫を助け、決して覗かぬことを誓わせて、自分の(本当は鶴)羽をもって、機を織り見事な反物を仕上げる。夫はその収入で幸せを得るが、ある日禁を破り、妻が本当はご鶴である「秘密」を知り、短い幸福を失う物語である。

 この鶴が未だ達せぬ者には本来の姿を見せない、教化を受けるものに相応した姿(お通)に変化して説法する大日如来である。

 法身は、理解する者に変化応現する。

理解できぬ者には、「秘」密教である訳です。

前の法話
菅野秀浩のちょっといい話 法話一覧に戻る
法話図書館トップに戻る