菅野秀浩のちょっといい話

第59話 成仏への道Ⅰ

成仏への道Ⅰ 挿絵

 先ず「真言宗」「密教」「曼荼羅」と三つ並べたのは、真言宗の特色というか教義の要点を、理解して戴きたいからである。

 また「顕教」という表記があるが、これは密教(日本では真言宗・天台宗)以外の宗派や教義を指す言葉だが、「顕教」一語で必ずしも全ての宗派や教義を表せないし、密教の反対語でもなく、密教と区別するために便宜上使用されたようである。筆者をこれに習う。

 さて、密教と顕教では、同じ仏教なのに、悟りに至る過程は必ずしも一致はしない。

この辺りが密教たる所以で、前述の三要点を思い出しつつ、お読み願いたい。

 仏教は、釈尊によって開教され、インドよりシルクロードを経て東漸され、中国、朝鮮、日本へと三国伝統して帰結するが、教えは学問として高僧達に受け継がれ、時代性や教義の理解の仕方で思想体系も確立し、小乗から大乗、次いで密教へと仏陀観も大らかに拡がり、成仏思想も変化し、成仏への高踏な存在の覚者釈尊はもとより、様々な仏の出現により、より身近な成仏課程が発祥した。

 凡夫は自覚が無いが、本来仏陀と同質であり、誰でも仏菩薩の種子を具備しているので、迷いを滅却して、究めれば成仏に至る。

 更に密教では、菩薩道の遠い道程も短縮され、身と口と心を活写すれば、「速疾に」大日如来と同体となり、煩悩多きこの身のままで、成仏に到達すると云うのである。

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