菅野秀浩のちょっといい話

第74話 密教の仏5 地蔵菩薩Ⅱ

密教の仏5 地蔵菩薩Ⅱ 挿絵

 地蔵菩薩は三十五日忌の本尊である。

 地蔵菩薩は閻魔尊とも同体(本地垂迹説=仏が衆生救済に際し、先ず仮に神となって現れる事)で、インドにおいては地蔵菩薩(本地=ほんじ)だが中国・日本では閻魔王(垂迹=すいじゃく)として、鎌倉時代以後、民間信仰に支えられて、きわめて異様(?)な、又畏敬を持って礼拝されて来た。

 五七日忌は、仏前仏後の中間であり、「閻魔法王の断罪の庭、新亡精霊昇沈の境なり」といわれ、新精霊が閻魔王の前に呼ばれ、傍らの浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ=冥界の鏡)に一生涯が克明に映しだされ、その結果で天界(極楽)への入場券が支給されるのである。勿論、逆方向の場合もある。

 天界でないほうの券を支給されたものは、どうしたら良いのか?前言通りである。

 閻魔尊と地蔵尊は同じ仏であり、生死を繰り返す、迷いと苦しみの六道の全てに在って救済する役目が在ると言うことも述べた。

 地蔵尊の慈悲で全て救済されるのである。

 近年は、何故か五七忌は修されない。果たして無事極楽へ辿り着けるだろうか。

 又、親より先に亡くなる不幸で、子供は賽(さい)の河原をさ迷うといわれ、地蔵尊は河原に居て、子供を見つけては袈裟で隠し包み救い続ける。
だから親は、亡き我が子をいち早く地蔵尊に発見されるよう、生前身につけた(子供の匂いがついた)よだれ掛けや帽子を、地蔵尊に着せるのである。

前の法話
菅野秀浩のちょっといい話 法話一覧に戻る
法話図書館トップに戻る