菅野秀浩のちょっといい話

第95話 現代葬儀事情Ⅱ

現代葬儀事情Ⅱ 挿絵

 現代の社会問題の要因は、全てとは言えないが、かなりの比重で本来の姿が「見えなくなった」ことにあると思っている。

 葬儀もそうで、「葬式仏教」という嘲笑も含めた、問題視される昨今のお寺を取り巻く風評も、葬儀の正しい姿が「見えなくなった」ためと思われる。

 その起因は、一に寺側の責任であるのは明白だが、言い訳で恐縮ながら、〔寺と密接でない、寺を信じえない、信仰を持たない〕側にも、いわゆる説明不足と疎遠がそうさせるのか、かなりの身勝手さがあるといえる。

 近ごろは、インターネットを検索すれば、たちどころに「弔問のマナー」「香典の金額」「挨拶の仕方」「費用の内訳」などに、Q&Aを加えたページは即座に開けるし、分厚い豪華な写真入り、イラスト有りの冠婚葬祭の本は、書店の書架をうずめている。

 葬祭マニュアルの氾濫で、どうも裏側には関連商品販売の魂胆が隠れているようで、本来の葬儀の意義を逸脱して、このとおりに実施したら、あれも必要これも要るで、商品カタログを見るようでもある。

 通夜の儀の、あの有り余るご馳走は何なのだろう。読経中でも、飲んだり食ったりはあたりまえ。昔から取り込み中の先様での飲食は、失礼な事と誰でも知っていた。

 通夜、葬儀、告別式、知っているようで知らない、本当が「見えなくなって」、みんなマニュアルの嘘に踊らされているのだ。

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