菅野秀浩のちょっといい話

第99話 神仏を崇めぬ者Ⅰ

神仏を崇めぬ者Ⅰ 挿絵

 現代の日本は、何処か変である。

 それが此処だと具体的に指摘できないほど、社会の全ての分野に及び、畢竟民族性の主張の「あいまい」さにその因が伺える。

 予てより、昭和20(1945)年8月15日が、日本人の心を失った日として注目をしているが、この日を堺にして「あいまい」さが、更に増長されたと思っている。

 今次の対戦が終結し、民主国家がアメリカの統治に依って設立、憲法が制定され、その憲法を順守させる為に教育基本法が整い、強烈な占領政策が打ち出された。

 「一億総懺悔」して自己の理性を失った全ての大人達は、最初は新体制に抵抗するが、生来のやじ馬性と寛容な協調性をくすぐられて懐柔され、まず自称文化人が簡単に自国への帰属意識を失いアメリカナイズされ、マスコミがそれに悪乗りして拍車をかけて、西洋文化に酔いしれ、見事に民族制を「あいまい」にしていった。

 占領政策が極めて老獪であったと断言できるのはこの点で、何故アメリカは自国の企業を日本に導入して、労力を駆り立て、利益を搾取する政策を執らなかったのか?

 民主的思想と眩しく華やかな異文化の、いわば軟派な政策で日本を籠絡したのか。

 占領政策の目的は、一途に日本の持つ民族性(軍国主義を産んだ、天皇制と血族重視の気味悪さ)の破壊にあったといえる。

 戦後57年、目的は達成されつつある。

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