〜第2回 服部半蔵の槍編〜

取材協力:専称山安養院 西念寺



 JR四谷駅からほど近いところにあり、ここが都心かと思うぐらいに深い緑に包まれた浄土宗のお寺、西念寺を訪ねました。 伊賀者の指導者として、または槍の名手として名高い服部半蔵正成が開基となっている由緒ある古刹です。
 西嶋義彦住職にお忙しいところ時間を割いていただき、お話を伺いました。開口一番「本日は半蔵と槍の話をお聞きしに来ました」と申し上げたところ、半蔵の槍が安置してある本堂にご案内いただきました。
 「半蔵はどんな人で、どういう経緯で西念寺の開基となったんですか」
“半蔵は家康の17人いた重鎮(家来)の一人で、多くの武功により家康に重用されていたそうです。ところが家康の長男信康があまりに武勇に優れたため、織田信長から疎んじられ、自分の娘を信康に嫁がせていたにもかかわらず、義父信長は信康の乱心を理由に、信康に切腹を命じたのです。この時いくら家康といえども天下人の信長には逆らえず、断腸の思いで長男信康の切腹を決断をし、半蔵にその介錯を命じました。しかし半蔵は如何に主君の命と言え、どうしても役目を果たすことはできなかったそうです。このことがきっかけになり半蔵は世の無常を感じ、信康の冥福を祈るため仏門に入ったというのが開基となったいきさつと聞いています。“

 「つまり半蔵は信康に情が移り、役目を果たすに忍びなかったということですね。人情家でやさしい人だったということですか」と尋ねると、住職は巻き物を取り出し半蔵の似顔絵を示しながら“半蔵はこの顔からして見ても、好々爺という感じでそんなに大男というわけでもなさそうだったと思うよ”とおっしゃいました。

 「新宿区有形文化財にも指定されている半蔵の槍を持たせていただいてもいいですか」
“少し重いよ。本当はこれよりさらに60センチ近く長かったんだが、槍の先の方は地震があった時、半蔵が槍を守ろうとして清水谷に投げ出した際に折れたと言い伝えられ、さらに手元の部分は昭和20年の空襲の時、自分(住職)が持ち出したのだが残念ながら一部焼け落ちてしまった。今でも重さは7.5kgあり、長さは258cmあるが、当時はもっと重かっただろうね。少々の力では振回せないよ。“
 本堂の中なので振回すことはできませんでしたが、ずっしりとした重厚さがあり、半蔵の家康に対する信義の厚さと、西念寺の歴史の重さを感じながら退席させていただきました。


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