長谷川正徳のちょっといい話

第29話 合掌のこころ

合掌のこころ 挿絵

 人生には、むさぼりやまぬ貧欲があり、他人の幸福をみては、さびしく、抑え切れぬねたましさがあり、あんな奴殺してやりたいと思うような怒りがあり、自己を静かに反省することを知らぬ愚かさがある。
こうした世界には合掌はない。

 人生には、また涙ぐましい感謝があり、真面目な反省があり、耐え切れぬ懺悔があり、親しい者への追憶がある。
こうした世界には、合掌がある。
 合掌は、人生の真剣な、真面目な、感動に咲く花である。

 町の小さな工場で、従業員さんが表彰された。
 25年、無欠勤、無過失、能率最高等々。
 工場長の話によると、この従業員さんは、毎朝必ず所定の時間より10分前に持ち場に立っている。
そしていよいよ就業の時間になるや、その機械に向かって、つつましく合掌する。
「今日もよろしく頼みますよ」と機械に向かって言う。
そこでは、もはや機械は単なる「機械」ではない。
一つの魂を持つものなのである。

 機械を拜むというような心を、フェチズム(庶物崇拝)か、迷信無知な因習としか考えない現代人は、きっと笑いとばすであろう。
それが大きな間違いである。

 合掌して物を拜むことによって、ほかならぬ自己が、まさに拜むような心自体によって聖化されているのである。
物を聖化することは、それだけ内を聖化することなのである。

 今日の科学技術文明を真に生かすものは、合掌に象徴される宗教心である。

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