長谷川正徳のちょっといい話

第28話 人間は本来、仏である

人間は本来、仏である 挿絵

 子供がいたずらをして困るとよくいう。
実は子供にはいたずらはないのである。
端的にいって、子供の心は仏さまなのである。

 ある父親が語った。
ある時、よちよち歩きの子供が、いわゆるいたずらを始めた。
やさしい父親がはじめて恐い顔をして「メーッ」と叱った。
子供はふと顔をあげて父親の目を指さし、「目、目、目」と言ったというのである。
これは子供の心の中に「いたずら」という悪心はなかったという、よい証拠であろう。

 子供の障子破りは音の研究であり、触覚の訓練だと言った心理学者がいるが、確かに子供にとって、たまたま障子に手がふれて、プスッと音をたてて破れると、こちらはどうであろうかと、続いて破りたくなろう。
その破れる音はなかなか耳に快い。破るときの手の感触も新しい発見だろう。
だから子供の行為は禁止するよりも、それを建設的な方向に導くことが大切である。
障子破りには、別の綺麗な紙など与えて破らせることである。

 このことは子供ばかりではない。
人間は本来「善」なのである。
親の精神的雰囲気が、禁止的、抑圧的なものから、開放的、肯定的なものへと転化し、その雰囲気の影響によって、子供は本来持っている生命の自由を得、必ず良くならざるを得ないのである。

 それと全く同じに、人間どうし認めあい、許しあい、常不軽菩薩のように人間礼拝(人が人を拝む)にまでゆくとき、そこが極楽浄土というものである。

 それは人類のみはてぬ夢なのであろうか。
ひたすらに真実の仏性ひろまれと祈るのみ。

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