長谷川正徳のちょっといい話

第72話 ちひろ大明神

ちひろ大明神 挿絵

 先日ある地方新聞に「霊験あらたか“孫のお守り”」という次のような投書が掲載されました。

 『私に“ちひろ”という孫がいます。その子が中学生だった頃に、私が二度目のノドの手術をしなくてはならなくなり、娘たちが病院まで車で送ってくれました。車中で「ちひろからのことづけよ」と言って娘から一通の手紙を渡されました。開いてみますと「今日は行けませんが、手術が成功しますように」と書いてあり、一緒に“ちひろ大明神”と書かれたお守り袋がありました。私はそれを見た途端、手術に対する重苦しい暗雲が一度にパッと吹き飛ばされた思いがして、胸の中が、軽くさわやかになりました。私にとってどんな尊いお社のお守りよりも“ちひろ大明神”のお守りが霊験あらたかに思えました。私は入院中、そのお守りを枕元に置き、時々取り出しては心の中で、大明神様と話してみたりしていました』

 誠にほほえましい、おばあちゃんと孫の交流です。こうした心の交流を仏さまとの間に持つことが信心となるのです。

 信心とは特別のことではなく、悩みや苦しみを持つ人間が、仏の限りない慈悲と心にだかれて、その安らぎの中で、より大きな価値観を求めて、自分自身を改善していくことなのです。そして、それが仏となるための道となるのです。

 日蓮聖人は「それ信心と申すは別にはこれなく候。妻の夫をおしむが如く、夫の妻に命を捨てるが如く、親の子を捨てざるが如く、子の母に離れざるが如く」と言われました。ごく普通の姿の中に信心はあるものなのです。

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