長谷川正徳のちょっといい話

第82話 生きるということ

生きるということ 挿絵

 映画監督の木下恵介さんが“生きている”とか“生きた証”とはどういうことかについて話をされていたのを、テレビで拝見してとても感心させられました。

 要約しますと、この世に生まれ、生きてきたからには人々にいつまでも忘れられない存在になることだというのです。そのためには、人を徹底的に愛する以外にない。その愛は特定の人を愛するのではなく、すべての人を同じ心で愛すること。愛し続けること、愛し抜くといった方がよい。そうすれば自分が生きていたことを、多くの人が忘れないでいてくれる。皆が思い出してくれる人間になることが、この世に生きた、生き甲斐だと私は思う、とおっしゃっていました。

 木下恵介さんといえば、映画「二十四の瞳」に代表される監督として有名ですが、数え切れないほどの作品の全てが、人類愛につらぬかれたものです。

 生きているだけで尊い、という人もいますが、やはり生きて何を為したかが大切だと思います。

 生きるということは、自分以外の全てのものとの関わりの中で営まれるものです。そういう意味で、私たちは生きるというよりも、生かされている存在なのです。

 生かされている自分を知ったとき、自分には一体周囲のものに対して何ができるだろうかと、考えないではいられなくなるでしょう。

 木下恵介さんは、映画製作に命をかけてきた人ですが、すべてを愛し抜く心が、すばらしい作品を残す結果となり、それはそのまま生き甲斐となり、生かされていることへの恩返しになっているのではないでしょうか。

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