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第92話  井戸の蛙と、笑わば、笑え!


挿し絵  一年間の教師生活をしたといえども、な〜んにもできないで辞めてしまったから、寺に生まれ、育った私は言わばお坊さんの純粋培養みたいなもの。そんな私でも、宗派の布教誌の編集や、ご詠歌を一生懸命、もうやり過ぎじゃない?と揶揄されるほどやってきた。

 数年前のこと。宗務所(宗派の事務所のこと、業界ではムショなどと略して言わないことになっている)で、敬愛している先輩のお坊さん(誰とは言わないが、このコーナーの前任者で、兄みたいな人)と行きあった。
“最近ずいぶんがんばっているみたいだな”
“そうでも無いッスよ”
“でもな、お前さんなんか、まだ井の中の蛙だからな。世の中広いぞ”
 噂では自分のお寺を抵当にいれて「空海」の映画を作ってしまった人だし、船橋市で宗教と医療を考える会を立ち上げた人だから、はなたれ小僧のこちとら、ぐうの音もでねえ。心の中で舌打ちしたのを覚えている。

 それから数週間。“呼べば応える”とか“偶然というのは準備していた人だけに訪れる”とはよく言ったもの。何気なく本棚にあった昭和4年、大日本雄弁会講談社(現在の講談社)発行の『修養全集・金言名句人生画訓3』を読んでいたら、頼山陽作と書かれた歌にハタと手を打って小躍りした。
 再び先輩のお坊さんと宗務所で出会ったのは、それから1週間後のことだ。
私は彼を呼び止めた。
“ねえねえ。この間、俺のこと“井戸の蛙だ”って言ったでしょ。覚えてる?”
“ああ、覚えてるよ。それがどうした?”
“頼山陽の歌に、こういのあるの、知ってます?「井戸の蛙と笑わば笑え、花も散り込む月もさす」ってえの”
 井戸の中とはいえ、それなりに完結している世界なのだ。私の言葉を聞いて、さすがにそのお坊さんは、ギョッとした顔をして、一瞬ひるんだ。私はニンマリした。
 すると、何事か考えているかのように、自分の足元を見ていた先輩は、“ふーん”と言いながら顔をあげてこう言った。
“その井戸、ずいぶん浅いんだな”
“……”

 この浅いという言葉が、私の考えが浅いということにかけてあることに気づいたのは最近のことだ。菅野秀浩師とのバトルは現在も続いている。

 さて次回は「無視できない虫」でいきます。内田百フ けん 門構えに月(うちだひゃっけん)の『新方丈記』の一節をご紹介しながら、生き物の命を考えまする……

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