佐藤俊明のちょっといい話

第3話 旅人の危機管理

旅人の危機管理 挿絵

一人の旅人が山道を歩いていると、ふと、うしろに異様な物音がする。ふり返ってみると大きな虎が追っかけてくる。

「こりゃ大変!」

と走り出した旅人は、

「あっ」

と息を呑んだ。前は絶壁だった。

「もはやこれまで!?」

と諦めかけたとき、崖っぷちにある大樹に巻きついた藤蔓が絶壁の下の方に伸びているのが眼にはいった。

「これはありがたい、天の恵み」

その藤蔓を伝って崖の中腹まで降り、ホンの一瞬の差で猛虎の餌食にならずに済んだ。が、

「ああ、助かった!]

と思ったのも束の間、藤蔓をにぎりしめた手が間もなく体の重みを支え切れなくなってきていることに気付いた。

「下に降りよう」

そう思って下を見ると、とぐろを巻いた大蛇が口をあけて待っている。

「こりゃ、いかん」

と、近くに足場を捜すと、足場はあるが、そこには四匹の毒蛇が、近寄らば噛みつかんばかりに赤い舌をペロペロ出している。ゾッとして上を見ると、命の綱と頼む藤蔓を、樹の根元のところで白と黒の鼠がガリガリ齧っている。まさに絶体絶命。旅人はブルブルッと身ぶるいした。
その時、頭上二メートルほどの高さにある大枝にぶらさがった蜂の巣から蜂蜜がポトリと落ちて来て、偶然にも旅人の口にはいった。

「うまい!」

旅人は陶然として酔ったように、絶望の現実を忘れるのであった。

この話は何を物語るのか。山道を歩く旅人とは、起伏重畳の山道にも似た人生を歩む私ども人間の姿である。
いままでぼんやりしていたが、ふと気付くと、うしろから猛虎が追っかけてくる。その虎とは何か。マラソンランナーが終始ライバルを意識し、追跡をふり切るためにけん命に苦しみに耐えて黙々と走り続けるように、私どもは時間やライバルや仕事や金など、いつも何かに追われている。
追われることに苦しいことだが、ときにそれを意識しないですむことがある。たとえば海外旅行に出たときなど、電話はかかってこないし、訪ねてくる人もなければ仕事からも開放される。それが藤蔓にぶらさがっている束の間の旅人の姿ではないか。崖下には大蛇が、棺が蓋をあけて待っているかのようにとぐろを巻いている。なんとか生きのびたい。生きのびられそうな場合はある。しかしそこには四匹の毒蛇がいる。これは一切の物体を構成する地水火風の四大元素のことである。四大不調というように四大元素の不調和によって病苦があらわれるといわれるが、さらに、地震・洪水・火事・暴風ありで、たえず人間生命はおびやかされている。
藤蔓は命、人間の寿命であり、その命を、黒白の二鼠、つまり夜と昼が絶え間なくむしばんでいる。

考えて見れば人間は上下四囲、窮地の真っ只中に放り出されている。ところが人間、そんなに深刻な顔をしていない。それは落ちてくる蜂蜜のしたたりが、口にはいるからである。
蜂蜜は人間の欲のこと。仏教では財・色・食・名誉・睡眠の五欲があると教えている。うんと儲けて色気と食い気を存分にたのしみ、苦労せずに偉くなりたいというのである。こうした欲があるからこそファイトも湧くのだが、欲のために道を踏みはずし、あたら人生を台無しにする人も少なくない。人間、生命の真の姿を直視することを忘れてはならず、日ごろ危機管理に備えるところがなくてはなるまい。

生死事大(しょうじじだい)無常迅速(むじょうじんそく)各宜醒覚(かくぎせいかく)慎勿放逸(しんもつほういつ):生死の事は大なり、無常迅速なり。各宜しく醒覚して、慎んで放逸なること勿れ。「無常迅速の偈(げ)」といい、木板の表に書かれる。種形相に対し、無常迅速を警告し、人生の一大事をさとるべく、寸陰を惜しんで努力精進すべきことをさとす言葉である。

前の法話
佐藤俊明のちょっといい話 法話一覧に戻る
法話図書館トップに戻る