佐藤俊明のちょっといい話

第6話 一度ただ一度

一度ただ一度 挿絵

 幕末の政治家として著名な大老、井伊直弼は、今から一八〇年前、彦根藩主井伊直中の十四男として生まれた。
 庶子として、その一生を部屋住みに終わる宿命にあった若き日の彼は、自分を埋木にたとえ、その居室を埋木舎と称していたが、埋木に終わるにしては強烈な自我と豊かな才能に恵まれていた。

「私こと、芸道は何によらず好き申候」
と述べているが、ことに執心したのは国学と茶道で、茶道は石州流に学び、宗観(そうかん)と号した。
茶の手前を学ぶかたわら、数多くの茶書をひもどき、また繁忙な生活のなかで、その思うところを書き残した。その中でもっとも代表的なものが『茶湯一会集』で、その中に出てくるのが、「一期一会」の語である。
 もっとも、これよりさき、千利休の弟子山上宗二(やまのうえのそうじ)の手になる『山上宗二記』に、

常の茶の湯なりとも、路地へ入るより出るまで、一期に一度の会のように亭主を敬畏すべし、世間雑談、無用なり

としている。
 『茶湯一会集』は直弼が三十歳頃にかきはじめ、その後推敲に推敲を重ね、清書本が完成したのは桜田門外で刺殺された四十六歳の直前頃かといわれている。

 そもそも茶の湯の交会は、一期一会といいて、たとえば幾度同じ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実にわが一世一度の会なり。それにより、主人は万事に心を配り、いささかも粗末なきよう親切実意を尽くし、客にもこの会にまた逢いがたきをわきまえ、亭主の趣向、何一つおろそかならぬを感心し、実意を持って交わるべきなり。これを一期一会という。必ず必ず主客とも等閑には一服をも催すまじき筈のこと、即ち一会集の極意なり。

と。

 先年、八十歳の老母を亡くしたお医者さんが、葬儀のあとで、
「それはもうひどいもので、すっかり恍惚の人になってごはんをなんぼでも食べるんです。私、医者ですから、つい『そんなに食べるんじゃないよ』といって箸を取り上げたこと何度かあるんですが、いま、それが悔やまれましてねぇ」
と述懐していたが、それを聞いて私は若い頃読んだワシントン・アービングの『スケッチ・ブック』にあった言葉を思い出した。

 人は死別に際してどうしてそんなに悲しむのか。
 それは、永遠の別れということもさることながら、生前、あれもしてやればよかった、これもやってやるべきだった。どうしてあんなきついことを言ったのだろう、という悔恨の情が人を悲しませるのだ。

と。

 私ども平生の交際は、きわめてぞんざいなものである。それは、明日があるから、また会えるからという思いがあるからである。
 もう二度と再び相会うことができない。明日を期することができないということになれば、お互いがあとに悔いを残さぬよう細心の注意を払い、一挙手一投足、一言半句に万全を期するようになるであろう。
 こうした心がまえをもって相交会するのが一期一会であり、そのように心がけて精進するところに真に充実した人生が現成するのである。

一期一会:一期とは一生涯のことなので、一期一会は生涯にただ一度まみえること、一生に一度限りの出会いであること。
文の題を「一度ただ一度」としたのは、詩人ブラウニングの“Once,Only once,and for one only”(一度、ただ一度、そして一人の人に)からとったもの。

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