佐藤俊明のちょっといい話

第57話 恩讎の彼方に

恩讎の彼方に 挿絵

 九州・耶馬渓谷の鎖渡しの難所に、人馬の行き悩む様子を見た旅の僧禅海が、洞門の開削を発願し、村人の嘲笑をよそに、やわらかいとはいえ集魂岩に対し、27年もの間ノミをふるい、ついにその目的を達成した話は小説『恩讎の彼方に』で有名だが、彼をしてこの発願と精進に導いたものはなんだったのだろう。

 旗本であった主人の愛妾と不義をし、それが発覚して主人を殺害して逃亡した市九郎、その彼が心機一転、出家して名を禅海と改めたのだが、この懺悔の一念が彼をして発願と精進に駆り立てたものではなかろうか。
 そうでなくては村人の嘲笑を尻目に、まだ足りない、まだ足りないと、ひとノミ、ひとノミに誠心をこめて岩を切り削く努力精進は持続されなかったであろう。

 そしてこのとき、父の仇をさがして8年、かつての主人の遺児が来合わせたのだが、禅海の崇高な姿に打たれ、ともにノミをふるうこと一年有余、ついに見事に洞門を貫通して2人は手をとり合って感慨にむせぶのである。

 『修証義』に

「浄信一現するとき、自他同じく転ぜられるなり」

とあるが、仏の慈悲に導かれ、懺悔の力によって自分が変わると、自分が変わるだけでなく相手もまた変わるのである。
 そして「其利益普く情非情に蒙らしむ」で、それは二人だけのことではなく、周囲のすべてのものにまで大きなご利益を与えることになるのである。

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