菅野秀浩のちょっといい話

第85話 密教の仏11 阿閦(あしゅく)如来Ⅰ

密教の仏11 阿閦(あしゅく)如来Ⅰ 挿絵

 阿閦(あしゅく)如来には、悟りを得るための発心が極めて強く、戒を律する事も堅く、何時も心が乱れ揺れることが無い事から不動・無動如来とも呼ばれたり、或いは、絶対に怒りの心を起こさないという義の無瞋恚(むしんに)如来という別称がある。

 その名の由来は、過去に向かって、東方の千仏刹(釈迦を初めとする千に及ぶ仏国土)を越えた処に阿比羅提国世界があり、その浄土で大目如来が六度に亙(わた)って無極(仏の境地=ニルヴァーナ)の行を説法した時、一人の比丘が祈願して、至上の悟りを求める心(菩提心)を発し、瞋恚(怒り)を断ち、淫欲に溺れないことを誓って精進を宣言し、悟りを得て成仏し、師の大目如来よりその徳目を大いに称えられ、阿閦(瞋恚)如来の名号を得たものである。

 そこで成仏の後の今も、東方の浄土(妙喜世界=快善)に残り説法を続けている。

 密教では、金剛界においては五智如来(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)の四方四仏の一つで、東方にあって、大日如来の万象を映す、円かで明るい清らかで汚れの無い鏡のような智と菩提心の堅固さを現し、胎蔵界の宝憧如来と同体である。後には、大日如来に代わって、五仏の中尊ともなる。

 密号を不動金剛・怖畏金剛。身は青色で左手の五指で衣の端を掴んで胸にあて、右手は指を伸ばして右膝に伏せて置き、指先が地に触れる、不動を表す触地印を結ぶ。

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