長谷川正徳のちょっといい話

第20話 人は死ぬことを忘れている

人は死ぬことを忘れている 挿絵

「人間は死すべきものである」
「私は人間である」
「それ故、私も死ななければならない」

 この三段論法は昔から言いふるされてきた。
しかも、現代においても、それを動かすことのできない真理である。

 ところが、人間が死ぬことを忘れて、生に自信を持ち過ぎているということと、死ななければならないという事実とは、別々の二本の線である。
このニ本の線は人間の気持の上では、どうしても交わることのできない二本の線である。

 しかし、現実としては、この二本の線は必ず交わる。
即ち人はどうしても死ななければならぬのである。
平均寿命が七十歳を過ぎたとか、八十歳を過ぎたとか、そういう平均数値の上で自分の命を考えるから、死はまだ遠い先のことのように思ってしまう。
そして今のいのちを粗末にあつかってしまう。

死とは長い生活の後にやってくるのではない。
死とは生の終点なのではない。

 実はいつも一緒にいるのである。
 生の裏が死なのであって、終りが死なのではない。
 このように思うとき、今日のいのちの有り難さがわかってくる。
背中に死を背負いながら今日も生きている。
そこに生かされて生きる喜びと感謝を実感するものとなる。

 仏教は「死」をことさら取り上げるので陰気臭いというが、そうではない。
死のほうから生の意味をうかがう方が、生を正面からうかがうよりもはっきりするからである。

光りは、闇と対置されることによって、光りであることを知るのである。

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