長谷川正徳のちょっといい話

第51話 ガン告知を考える

ガン告知を考える 挿絵

 平成5年12月15日、テレビ司会者逸見政孝氏はガンとの壮絶な闘いに敗れて亡くなった。
ガン闘病生活を宣言してから百日余、しかし現代医学にとって難病といわれるスキルガンに克つことはできなかった。
 逸見さんはガンの告知を受けて、これと闘った。
死去をめぐって、さまざまな論議が週刊誌などでなされたが、これが契機となって、ガンを知らせるべきか否か、ガン告知の是非を考えるということが改めて人々の深い関心事となった。

 ガンは昭和56年に日本人の死因第1位となり、毎年数千人の割合で増え続け、昨年ついに23万人に迫った。
この数字は日本人の全死亡者の3割弱である。
もはやガンは決して人ごとではない。

 平成3年、厚生省が全国の成人約3万1千人を対象に初めて本格的なガン告知に関する調査をしたところ、告知肯定が58.8%、告知反対が18.7%で、告知をタブー視してきた日本人の意識に変化の兆しがみえてきている。
私はこれを評価したい。

 ガンであろうとなかろうと、しょせん、人は死すべきものである。
われわれ人間の存在にとって生老病死の四苦は絶対条件である。
そしてこれを超えた平安な精神の境地を釈尊の悟りとその教えにみるのである。
 不治の病の告知を受けたにしても、治療に専念するとともに、安らかに死に至る精神的な手助けをみ仏の教えの中に出す、そういう心がまえで生きることが自己の生命の尊厳に生きることなのである。

※ この法話は平成6年に書かれたものです。

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