長谷川正徳のちょっといい話

第56話 いのちの重さを知らぬ若者

いのちの重さを知らぬ若者 挿絵

 この頃の若者による暴力沙汰、ことに殺人事件の多いのには、心を暗くさせられます。
青少年の死に対する感覚が、この頃明らかに変わってきているようです。
殺人が多いと同じように自殺も増えています。
他人の死について深く受けとめない分、自分の死についても深刻に考えようとしない。
要するに今の若者には、生と死について認識が非常に弱いということができます。

 その原因についてある評論家は、テレビや劇画にあふれる暴力シーン、殺人シーンの刺激のはげしさが若者の死に対する感覚をマヒさせてしまうのだと指摘します。
ある調査によりますと、テレビ画面にでる“死者”は一週間で約600人だというのですから、死に対する無感動、無関心が一般化するのは当たり前でしょう。
 それから考えられるのは、この頃の病人や老人は家庭で家族にみとられながら死んでゆくということがなくなったということです。

 老人ホームで死んでゆく、病院で死を迎える。
だから人間の死の厳粛さ、その重さ、そして残酷さを今の若者は目で見ることがない。
したがって、生と死を殆ど考えようとせず、重いはずの死が、実に軽い意味しかもたなくなってしまっているのです。
若者にとりまく現代の環境は、生命の尊厳や死の重大性を否定する方向に向かっていることは確かです。このことは実に恐ろしく危険な社会風潮であります。

 人生の尊さ、人間の命というものが、いかに大切なものであるかということを肝に銘じて知るためには、どうしても若者に間に宗教心がひろまらなければならぬと思うのです。

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