長谷川正徳のちょっといい話

第75話 自己という「カラ」

自己という「カラ」 挿絵

 ある日、洋子と則子という二人の少女が、庭でバドミントンをしていました。しかし、洋子の方が圧倒的に強く、何度やっても則子は無残な負け方をするだけでした。やがて則子はやけになって、ラケットを放り出し、試合をしようとしませんでした。

 二人はしばらくしらけたような悲しそうな顔をして、ぼんやり立ちすくんでいました。やがて洋子がポンと手を叩いて言いました。

「そうだわ!私たち二人で、ハネを落とさないで何回やりとりできるか、記録づくりをしましょう」

 二人はさっそく遊び始めました。こんどは前のようにケンカ腰ではなく、二人が力を合わせて、楽しそうに、しかも技術は次第に高度になっていきました。

 このように、ある問題に行きづまった時、ちょっと視点を変えてみると案外すらすら解けるのに、今一つカラを打ち破れないために思うように問題が解けなくて苦労している場合が多いのではないでしょうか。そのカラとは、おれが、おれがというカラです。

 私たちは、こういうカラを破れずに何でもないことまで問題を複雑にし、はては、怒りや、貪りや、憎しみの火に我と我身を焼いて苦しんでいるようです。

 そんなとき、自分のカラに閉じ込めていた心をちょっとほぐし、相手の立場に立って考えることができたならば、思いがけないところに問題解決の糸口も見つかると思います。

 このガンコなカラの窓が開かれますと、明るい光とすがすがしい大気に包まれて、お互いに許し合い、何かを造り出していこうという、建設的な協調の世界が開けてくるのではないでしょうか。

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