ちょっといい話

第130話 子は親の鏡?

挿し絵  reikoさんからのお題に、私が勝手に「?」をつけました。
 さて、広辞苑の【鏡】(キョウ)には、手本になるものという意味があります。だからこそ “親は子供の手本となるべき存在ですよ”なる意味で、親は子供の鏡といわれたりするわけですが……。だとすると、今回のお題は“子供こそ実は、親の手本じゃないか”という意味かというと、そうでもありません。
一方で、鏡は、ありのままを写す性質を持っていますから、子供が何か悪いことをしでかすと“親の顔が見たいモンダ……”と揶揄やゆする言葉と同義語として使われることもあります。子供の姿に、自分の投影された姿を見ることは、間々ありますからね。

そこでご紹介したいのが『アメリカインディアンの教え』(扶桑社文庫・加藤諦三)の中の言葉。
 
批判ばかり受けて育った子は 非難ばかりします
ひやかしを受けて育った子は はにかみ屋になります
敵意にみちた中で育った子は だれとでも戦います
ねたみを受けて育った子は いつも悪いことをしているような気持ちになります
心が寛大な人の中で育った子は がまん強くなります
はげましを受けて育った子は 自信を持ちます
ほめられる中で育った子は いつも感謝することを知ります
人に認めてもらえる中で育った子は 自分を大事にします
思いやりのある中で育った子は 信仰心を持ちます
仲間の愛の中で育った子は 世界に愛をみつけます
公明正大な中で育った子は 正義心を持ちます

 どれも「……だよなあ」と思いませんか。育った環境そのままを写す鏡のように子供たちは大きくなっていきます。だからこそ、こころ寛大で公明正大、思いやりを持ち、人(特に子供)を、褒め、励ましていける大人になれたらいいなあと思います。そうすれば、最初の意味で親が子供の鏡になれるはずです。
そのために、にっこり笑いながら“わたしゃ、まだまだだなぁ”と反省し、周りの人を“同じ日に、同じ地球に生きている者同士じゃないか”と気づくこと、これが“初めのい〜っぽ”になりそうです。

 さて次回は、“ありのまま”つながりで「魔法のメガネでみえるもの」と題して進めてまいります。真実の姿が見えるメガネを拾ったら、あなたは何を見ますか?