ちょっといい話

第166話 比べちゃ、ヤーヨ

挿し絵 何か人と違ったことをやろうとすると、親たちは言う。
「他の人を見てごらん。そんなことをしている人はいないだろ」

 そして、子供が「だって○○さんもやっているよ」と言うと、同じ親が言う。
「人は人、あなたはあなた。どうして人と同じことをしなくちゃいけない?」

 同じ人が、まったく正反対のことを言うので子供はパニックになる。ウチの親はテキトウだとバカにさえするようになる。
違うのだ。

 「他の人を見てごらん」と言うのは、
「自分のやりたいことをどうして他の人はやっていないのかもっと考えてごらん。それが判ったら、自分がどうしてそれをやりたいのか、もっと深く考えられるようになるから、そしたらその考えを教えてね。他と比べる必要なんかないんだよ。自分がやりたいことをしっかり納得するために、色々な角度から見てみることが大切なんだよ。その一つの方法が他の人がやっていない理由を考えてみるということなんだよ」
という意味なのだ。

 そして、「人は人」と言いたくなるのは、
「○○さんもやっているという理由では何の主体性もないじゃないか。他の人をダシにつかわないで、こういう理由で自分はこれがしたいって徹底して言えばいいんだよ」
と言いたいのです。
もちろん、「人のことなんか放っておきなさい」という冷たい人間になれと言っているわけでもありません。

 自分以外の人と比べて判るのは、あの人より上でこの人より下という自分の位置だけですヨ。その位置は比べる相手によりどんどん変化してしまいます。
前回、アイデンティティの人間学・心理学での意味を書きましたが、実は本来の哲学としての定義は“あるものが時間・空間を異にしても同じであり続け、変化がみられないこと”です。変わってはいけないのです。
あなたより年齢が若い・あの人より収入が高い・あの家より財産がある・あいつより学力がある――というのは、比べている点でアイデンティティにはなりえません。
他と比べることをせずに、自分の中に自分自身の価値を見いだしていかないと「かけがえのない存在」としての“私”は現れてこないのです。
ファッションをとおして自分らしさを出していると思っている人が、同じようなファッションをする人が大勢出てきて、不快になれば、“他を見て変化した自分”がいることになりますから、最初からそれは自分らしさではなかったということです。

 自分は19○○年に、誰と誰の間に、男(女)として生まれ、こんな友だちがいて、こんなことができて、こんなことはできなくて、こんなことをしたいと思っている――現在の自分をしっかり捕まえれば「似たような人がいない自分」に気づくことができます。そのことをお釈迦さまは生まれてすぐ「天上天下唯我独尊」と宣言したんです。

 今回の話、富山の上野さんからのお題「自分に自信がもてない」にも関連して書かせていただきました。
さて、次回は、京都の山猫美紀さんから「仏教は自殺についてどう考えてるの」にお答えすべく進めます。題して“あなたは、どうするの?”お楽しみ(?)に。