ちょっといい話

第172話 ギャッ!牛乳パックの買い方……

 今回は、高三の娘に誘われて行った、てんつくマン(改め軌保博光)のトークライブで身の程を知った話である。会場は約700人の人で一杯。

挿し絵 話の中で、彼は会場に向かって問いかけた。
「この中で、牛乳パックを買う時に、棚の奥にある新鮮なものから買う人、手を上げてください」
話のこの先の展開がわからないから、200人ほどが恐る恐る手を上げた。すると彼はこう言った。
「どうして手前のパックから取らないんですか。全員がそれをやれば、手前に並んでいる牛乳パックは廃棄処分になります。スーパーも、それを納入した牛乳屋さんも、酪農家も牛も、やったことが無駄になってしまいます」
 彼の口調は、人を責めるようなものではなかった。みんなで考えましょうという仲間意識を感じさせるソフトな感じだった。そして続けた。
「本屋さんで平積みの本を買う時、まずパラパラと見た後にそれを戻して、上から2、3冊目を抜き取る。何故でしょう。綺麗な本を買って読み終える時、どれほど綺麗なままなんですか?30分もすればページは曲がり、飲み物もシミもつくかもしれない。やめましょうよ、そういうこと」
 牛乳パックは手前から取る私だが、本は時々抜き取る。考えて見れば、コンビニでお弁当を買う時も、新鮮なものを手に取る。家に帰って10分以内に食べるにも関わらずである。
 私は帰りに娘に言った。
「お父さんは明日から、一番上の本を買うし、一番古いお弁当を買うことにしたよ」
娘は「うん」とニッコリとうなずいた。

 後から聞いた話だが、牛乳パックなどを買う時、新鮮なものから買うのは日本人だけらしい。だから昨年の秋にワンガリ・マータイさんの「モッタイナイ」に、日本人皆が感激することになったのだろう。
 “空(くう)”や“諸行無常”など、全てが常に変化を続けながら、密接に繋がっている世界の有り様をトコトン見つめていくもの、悟りへ至る仏教の一つのアプローチだ。しかし、そこにはいつだって実践行(ぎょう)がなくてはならない。理屈をいくら分かっても、それに生きて行かなければモッタイナイのだ。

さて、次回は”生き方と肩書き”と題してまいります。
私がここ半年ほど悩んでいる問題を一緒に考えてくれませんか。