ちょっといい話

第176話 決まり文句

挿し絵 かしこまって喜び、特に感謝を述べる時に「恭悦至極(きょうえつしごく)に存じます」と言う。――と書いたが、私は冗談まじりなら何度か言った記憶があるが、かしこまった状況で言ったことがない(そもそもこの言葉は口語ではないのかもしれない)。
かしこまった場合に言うとしても、余程真面目な人が言うのだろう。普通は「本当にありがとうございます」でいい筈だ。
 他にも「ホントだよね〜」の代わりに、「仰せ、ごもっともでございます」などと言うと、相手は「おお、そちもそう思うか。愛(う)い奴じゃ」と場が和むか、「ふざけるんじゃない!」と一喝されて、ドッチラケになるかである。

 今回のリクエストの原作(?)「恭悦至極は仏教語?」をメールしてくださった都鳥さんも、時により、事に即して、ほとんど冗談で芝居がかった言葉を多用する洒落の効いた小粋な方である。そのリクエストに敏感に反応したのは、私がとにかくここ3カ月ほど、まっとうな日本語をしゃべれなくなっちまってるからである。浪曲、それも任侠もののCDの聞き過ぎなのだ。寝ては浪曲、覚めてはうつつ、幻の……ってな具合で、「ってやんでぇ。そいつのどこがいけねぇって言うんでぇ」みたいなことになっている。時宜しく、天下のNHKが「清水の次郎長」を木曜午後8時からスタートしたから尚のこといけねえ。

 ……と言う訳で、「分かってます」と自然に言えばいいところを「そんなこたぁ、百も承知、二百も合点(がてん)でさぁ」とつい口が滑る。檀家さん相手にである。
 死の話題になると「咲いて散るのが草木の花で、散って咲くのが人の花」などという言葉がすらりと出てしまうのだから、かなり重症である。
 「冬になれば」と言えば済むところを「卍(まんじ)巴(ともえ)と降る雪に、赤城の山も綿帽子ともなれば……」なんて、へたをすると妙な節回しまでつきそうな勢いである。  友人のお坊さんは落語の聞き過ぎで、日常会話が落語家になったことがあり、それを直すのに二年かかった。だとすると、私の場合、この「ちょっといい話」が二百回を終了するころにゃ、とてもとても、直らねえ、至難の業だ。

 うーん、本題に入る前に紙面が尽きちまった。この続きは次回“ございますとゴザンス”で、お読みいただきとうゴザンス。
ではどちらさまも、御免なすって。