ちょっといい話

第177話 ございますとゴザンス

挿し絵 東京江戸川区にある密蔵院は、明治から私たち夫婦が入るまで120年間、お坊さんが不在のお寺だった。檀家さんやその知り合いが留守番をして、お線香つけや掃除などをしてくれていた。
 私たち夫婦が入った時にも、留守番のおばあさんが一人で住んでいた。私たちの新居と彼女が暮らしていた玄関そばの部屋は裏廊下でつながっていたので、ある程度のプライバシーも保てるし、なにより、お寺ライフの右も左も分からない家内の良きアドバイザーとしてそのまま、居てもらうことにした。

 このおばあさん、檀家さんが玄関に「お線香ください」とやってくると、自分の部屋から玄関まで出てくれる。それも次の言葉を言いながらである。
 「はいはい、二把(わ)でようゴザンスカ」
 大したもので、檀家さんも上手くこの言葉を受けて
 「ああ、二把でようゴザンスよ」と答える。
 密蔵院のある鹿骨(シシボネと読みます。鹿をシシと読むのは由緒正しい読み方。『もののけ姫』でシシ神さまは、ちゃんと鹿の姿でしょ。宮崎監督は実によく知っていらっしゃいます)は、まだ農家や花屋が多い。同じ名字も多く、屋号で呼ぶのが一番便利という、いわゆる東京とは言え、ムラ社会だった。飾りっ気もないのである。
 だから、言葉が昔のまま残っているのだ。
 お風呂のお湯を“かき回す”ことを「カンマス」と言う。
 “ちょっと、早く風呂のお湯、カンマシテ来い!”などと使う。
 “束ねる”ことを「マルク(丸く束ねるの意)」と言う具合である。
 “これから菜っ葉マルキしてくっかんな”などと農家の人が密蔵院の前を通るのだ。
 私が密蔵院で、生まれてはじめて“生きた”「ようゴザンスか」という言葉を聞いた時、ビックリして、土地の古老に「まだそんな言葉をちゃんと日常の中で話してるんですね」と言ったことがある。すると古老は笑いながら26歳だった私にこう言った。
 「“ようゴザンスか”なんてえのは、まだ丁寧な言い方ですよ。“ゴザイマスか”ってことだからね。普通この辺なら“二把でいいか”ですよ」

 前回も書いたがここ2年ほど、浪曲の股旅モノ(任侠モノ)にハマッテいて(それがこうじて、密蔵院 浪曲の会もやるようになったのだが)、とにかくこの決まり文句のような「ゴザンス」が、今私にとってマズイことになっている。
 密蔵院にかかってくる電話
「もしもし、密蔵院さんですか」
「へえ、さようでゴサンス」
が当たり前になりつつあるのである。ますます、私は変な坊主になりつつある。

 さて、次回はお盆なので、久しぶりにお盆について書きます。あなたは伝統文化ともいえるお盆をどう過ごしますか。心豊かに過ごす一つの糧になれば幸いです。