ちょっといい話

第180話 負けた回数

挿し絵 高校球児たちの熱い夏が終わって一週間。それぞれの人が、自分とさまざまな縁のあるチームを応援したことでしょう。今年の決勝は、再試合の結果の早稲田実業の優勝。この再試合のあった先週の21日(月)は、密蔵院では「浪曲の会」。それも開会時間が甲子園と同じ!(おかげで、お客さんが少なかった……)。私は、途中で甲子園の経過報告をしながら司会進行役を果たしました。

 さて、私はこの夏の甲子園の時期になるといつも思い出す歌があります。それは、さだまさしさんの『甲子園』という歌。
 ある夏の午後、恋人と入った喫茶店のテレビで、甲子園から高校野球の放送をしている――その時の状況を、さだまさしさんらしい感性で書き綴った歌です。
 その二番に、こんな歌詞があります。

  ……君は女はいつも男が演じるドラマを
    手に汗握りみつめるだけなんて割に合わないわと溜息
    4000幾つの参加チームの中で
    たったの一度も負けないチームはひとつだけ
    でも多分君は知ってる敗れて消えたチームも
    負けた回数はたったの一度だけだって事をね……

 車のラジオから流れたこの歌を聞いたのは、後にも先にも15年ほど前に一回だけですが、強烈な印象として残っています。
 地方大会から、多くの人の夢をかけた熱戦が続けられてきましたが、勝った回数ではなく、負けた回数という見方でみれば、まさに、優勝校以外、負けた回数は、どのチームも一回だけなのです。

 私たちは、どうしても、光の当たる部分ばかりに目をうばわれがちです。しかし、それは一つの見方でしかありません。それを、身近な例からみごとに浮き彫りにし、日の当たらない所も、日の当たる場所と同じ価値があることを、さださんは、訴えているように感じたのです。車の中で「これが仏教だよねえ、さださん!」と叫んだのを覚えています。
 ある出来事を、一つの方向からしか見ないのでは、物の本質が見えません。円筒形は横から見た長方形と、上下からみた円形の両方を見ないと、全体像がつかめないのと同じです。一つの方向からだけ見て、自分のご都合やわがままが加わると、ますますかたよった見方になってしまいます。

 さて次回は、かたよりそうになるところを一歩手前で踏みとどまって、粋なはからいをしたある檀家さんの話。題して「アブナカッタ……」。「自分のやることは絶対正しいと思ってるんじゃないの?」と言われてしまう人ほど、読んでみてください。