ちょっといい話

第181話 アブナカッタ……

挿し絵 ある檀家さんがご両親の23回忌の法事の打ち合わせに来た時に「ちょっとお願いがあるんだけど」と少し言いにくそうに言った。
「何ですか」
「実は、ちょっとお骨のことで気になってることがあってね」
「へえ、どんなことです」
「うちの両親のお骨は、大理石の骨壺なんですよ」
「はい」
「……でね、その壺を素焼きの壺にしたいわけ」
「そりゃまたどうして」
「大理石じゃ、お骨が水分を吸っても水が抜けないって聞いたんだ。素焼きなら自然に水が抜けるでしょ」
「なるほど。そういうことはありますね。でも、立派な壺にお入れしたいっていう親孝行の表れなんだから、それはそれでいいじゃないですか」
「でもね、気になって仕方がないんだよ。だから、今度の法事の時に、両親の兄弟も来るからさ。お墓参りの時にその移し換えをしてもらいたいんだけど、お願いできますか」
「そういうことなら、いいですよ」

 それから一週間後、再びその檀家さんがやって来た。
「住職、この間の話だけど、ちょっと変更したいんだ……」
「へえ、どうしました」
「考えてみたら、オヤジやオフクロの兄弟も、大理石や釉薬(ゆうやく=うわぐすり)がかかって、水が自然に抜けない骨壺を使っている家があるんだよ」
「はい」
「だからさ、そんな人たちの目の前で、わざわざ素焼きの壺に入れ換えたら、その人たちも自分の家のことが心配になるでしょ」
「なるほど」
「だから、法事の前日に移し換えをしてもらいたいんだけど」
私は感心して言った。
「そりゃ、よく気がつきましたね。素晴らしい心配りですよ。わかりました。そうしましょう」
「ありがとう。ほんと、アブナカッタ」

 “よく考える”という見本のような話だと思った。“誰かを不安にしていないだろうか、傷つけてはいないだろうか”……それが“良く考える”という中心線にあったらどんなに素敵だろう。

 さて、次回は“しゃべりと人柄”でいきます。夕方のテレビの天気予報のチャンネルの選択にかかわる、へぇなるほど的心理学であります。お楽しみに。