ちょっといい話

第182話 しゃべりと人柄

挿し絵 「私は無口で……」と自分でいう人ほど、「それって六つの口で、六口って書くんじゃないの?」とツッコミたくなるのは私だけだろうか。

 よく喋る人というのは、だいたい人の話は聞いていないことが多く、こちらが「今日は天気がいいので、買い物にでも行こうと思います」と言いたくても、次のようになってしまう。
「今日はとても天気がいいので」
「ほんと、そうだよね。昨日まではスッキリしなかったのに、打って変わってさわやかでさ。さわやかっていえば、さっき見た雑誌に、秋風にゆれたら素敵だろうなっていう服が紹介されててね」
――つまり、人の話を聞くより自分が言いたいことのほうが優先されてしまうのだ。悪いことに、この場合自分が相手の話を遮っているという自覚症状がほとんどない。これは、話好きというより、お人柄の問題である。

 ずいぶん昔になるが、気象衛星アメダスが稼働し始めたころ、NHKの午後7時前の天気予報でキャスターが「ご覧のように、アメダスによると、明日は所により雨のようダス」と少し照れながら言ったことがあった。爆笑した。これもお人柄である。
 天気予報というのは、気象庁のデータから予測するので、民放であろうがNHKであろうが、テレビでも、ラジオでも、ネットでも、媒体によって明日の天気が違うことはまずない。にも関わらず、私たちはテレビのチャンネルを変える。それは何故かと言えば、明日の天気よりも、そのキャスターの人柄にふれているというのだ。

 このことを教えてくれたのは、元ニッポン放送の村上正行アナ(昨年亡くなった)だ。村上さんはよく言っていた。
 “話っていうのは、キャッチボールです。そのキャッチボールの極意は、相手に受け取りやすい球を投げることです。150キロの剛速球や変化球は必要ありません。道を聞かれたら『この人に道を聞いて良かった』と思わせるような話し方をしなくちゃダメですよ”
 天気予報なら、「この人のお天気コーナーを見て良かった」と思わせるような番組だ。
 そして、これは話だけではない。人生にも当てはまる。
 「この人と一緒にいて良かった」「この人と知り合いになれて良かった」と思ってもらえるような人になれたらいいと思う。これもお人柄の問題なのだ。
 村上さんはしゃべりのプロだった。その村上さんが言った――だから、そのために心をみがくんです。心が話や話し方に出るんですよ――。
 その心をみがく方法の一つは、こんな時、仏さまならどう言う(言った)だろう、どうする(した)だろう、どう考える(考えた)だろう――の3つを、折に触れて考えてみること。そして、その真似をしてみることです。今のところ私は一カ月に2回くらいのペースでしか考えていません。これじゃイカンのです。

 次回は、女心と秋の空ということで、コロコロ変わる心について“気持ちの切り換え”についてのお話です。かなり真面目に書きます。