ちょっといい話

第186話 単独行動(ソロ活動)

挿し絵 1ヶ月前の9月9日(土)に、密蔵院初の本堂での仏前結婚式があった。以前から「お寺で結婚式やればいいのに」と思っていたのだが、具体的に「やってくれないですか」と言われて初めて、それまで私が考えていたことが机上の空論だったことを思い知った。

 控室はどうするか(新婦の控室、両家の控室は別々である)、本堂のしつらえは法事の時とどう変えるか(預かっているお骨が目に入ったら可哀相である)など。そして何より、私がやることは、いつもとどう違うのか……。
 仏前結婚式の次第の中には、「阿闍梨(あじゃり)訓戒」という項目がある。阿闍梨というのは、他で言えば神父、神主さんの役だ。この阿闍梨(つまり私)が、新郎新婦に対して結婚についてのお説教をする場面があるのだ。こういうことは法事ではまずやらない。

 伝統的な文言はいくつかある。
 例えば――生死の海中に天地あり、天地あればその儀あり。これを陰陽と言う。陰陽、これを男女と言う。男女あればその愛あり。これを人情と名づく。けだし一切の男子、皆その室を有し、一切の女人ことごとくその夫あるべし。夫婦ありて父子あり。父子ありて兄弟あり。親族姓氏ここに調(ととの)い、人倫の称、ここに生ず。云々……――。

 ご覧のように格調が高い。
 しかし、多分これを聞いている人は何のコッチャ?という具合になるだろう。そこで、結婚式の準備を調える中で、私はこの訓戒を自分の言葉で、当日に感じたことを申し上げようと決めた。荘厳な本堂の準備が調い、緊迫しながらもおめでたい雰囲気の中、自分は何を感じることができるのだろう――それを当日まで楽しみにしていようと思った。

 今回の新郎は、自分で治療院を開いている方だが、かなり自由な生活をしてきたと自他ともに認める人である。奥さんも自分で仕事をしっかりしている人だ。

 迎えた結婚式当日、私は二人にこんなことを言った。

 “今朝、庭のベンチに座って何気なく地面を見たら、蟻が一匹歩いてました。どこへ行くだろうと思ってみていると、一人でどこへ行くあてもないようで、言うなれば単独行動。あっちへふらふら、こっちへふらふら。
でも、考えてみたら、その蟻は餌を探す偵察アリです。蟻にはみんな役目があるそうですから。このソロ活動をしているように見える蟻は、やがて餌を見つけて、フェロモンを出しながら巣まで帰り、それを皆に知らせます。すると他の蟻たちがフェロモンを辿って餌までたどり着き、巣に持って帰るわけです。私の見た蟻はけっして自分勝手な行動をしているわけではないんですよ。自分のご都合を越えた大きな目標があってこその単独行動だったんです。
蟻と人間を一緒にしちゃ申し訳ないんですけど、私は今朝、それを教えられたような気がしたんです。お二人も、蟻を見たら、私がそんなことを言ってたって思い出してください”

 さて、次回は“人生を○(まる)洗い”でいきます。
内容がどうなるか、自分でもわかりません。このタイトルは、いよいよさ来週、10月25日出版予定の本の題(このタイトルが決まったのが9月25日)なのです!お楽しみに。