菅野秀浩のちょっといい話

第19話 「空(からっぽ)」 Ⅱ

「空(からっぽ)」 Ⅱ 挿絵

 良寛和尚の偉大さというか名僧たる所以は、子供に愛され、大らかな生き方と、その残された書の素晴らしさは言うに及ばずながら、実は大乗仏教の「空」の教えを、見事に体得し実践された方だということにある。

 和尚は、新潟県の西蒲原郡分水町の国上の山麓に五合庵を結んで、里の人々と穏やかで、一方で人間臭い人生を謳歌された。

 その生活は質素で、一つの鍋で顔を洗い、手足を濯ぎ、煮炊きをして、回りの人々を驚かせた。このことは有名な話なので、誰でもが知っている事だが、良寛和尚は貧しくて一つの鍋で、生活したのではない。

 汚いとか奇麗には、どこまでが汚くて、奇麗かなんて区別も境もない。

 仮に貴方が喉が渇いたとき、私がトイレの手洗いの水をコップに差し出したら、喜んでおいしく飲めるだろうか。
きっと怒って払いのけるに違いない。

 でも水を汲むところを見ないで差し出されれば、きっと甘露の慈水と飲み干すだろう。

日本ではトイレも台所も同じ水である。

飲めないのはトイレの水は汚いという、拘りがあるからで、そんなものは取るに足らない。

 だから洗ってしまえば、鍋は何の汚れも無く、煮炊きしても一向にお構いなし。

 「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」「無一物中無盡蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」この教えを、何のてらい無く実践したから、良寛和尚は名僧なんです。

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